浄土宗 善照寺

和尚世相を診る

移植と脳死(1997.4.22)

臓器移植法案が国会で採り上げられています。宗教家として一言コメントを加えたい。私は中山案にも修正案にも反対です。脳死を人に死として採用することには大きな問題があります。

第一の問題は人の「死に対する考え方」の問題です。人はこの世に生を受けたからには必ず、何時の日にか死を迎えます。人はその死を恐れず、粛々と受け入れなければなりません。現在の幸せをそのまま続けたいと思うのが人情ですが、「愛別離苦」必ず別れが来るのです。自分の死だけではなく、愛する人と死別することを受容する心の訓練が必要です。臓器移植とこれに付随する脳死判定の法律化は、闇雲に死を恐れ、死を現実から遠ざけることに他なりません。これまでの医療は死を現実から遠ざける事に大きな力を発揮してきました。高度な医療は助かるべき人を助けるという大きな目標を実行するために必要な行為ですが、死を受け入れる準備も同じように必要なことです。臓器移植と脳死の問題はこの一線を越えているような気がします。
第二の問題は「人体の部品化」の問題です。臓器移植とは多少異なると思われる方がいらっしゃるかも知れませんが「輸血」同様な行為です。角膜移植、硬膜移植、皮膚移植、骨髄移植、腎臓移植も生体肝移植も同じ様な問題をはらんでいます。国内で足りない場合には輸入することが平然と行われており、HIV、クロイツフェルト・ヤコブ病等の問題も生んでいます。あなたが右手の具合が悪くなったとき、脳死の人から右手をもらって移植手術をしますか?右手はしないのに心臓ならするのですか。そもそも、移植という治療法は人体を部品として扱うものです。将来、自分のクローンをスペア部品として育てるようなことが有っても良いのでしょうか。移植の原則は、人体で再生可能な組織に限るべきでは無いのでしょうか。

第三の問題は「不公平な治療法」で有ることです。移植治療は全く不公平な治療法です。必要な時に必要な臓器が提供されるか否かは全く保証されていません。脳死体からの臓器の提供は、主として救急医療の患者が対象になります。臓器の提供を行うために救急医療体制の整備が遅れることが有るならば大問題です。現状でも日本の救急医療体制の整備は遅れており、助かるべきはずの患者が死亡したり脳死状態になっているそうです。移植対象患者と臓器提供者のタイミングを合わせることは本当に難しい事です。このような方法を法律的に定めるより、万人が治療を受けられる可能性のある人工臓器の研究に力を入れた方がいいのでは無いでしょうか。

第四の問題は「急ぎすぎ」です。百歩ゆずって臓器移植を容認したとしても、新たな法律によって脳死を「人間の死」と定義することはありません。これはもっと長い時間をかけて国民全体で考えるべき事です。脳死臨調でも唯一の見解として合意が得られた訳ではありません。当面、臓器移植を行うのならば、現行法のもとで臓器治療を行うためのマニュアル(ガイドライン)を作成し、その経過を見ることが必要な気がします。

インターネットテレビ(1997.5.1)

最近、家電メーカー各社からインターネットテレビというものが発表されています。実際に上市されている製品もあるようですが、実際にはあまり売れ行きは良くないようです。大型のワイドテレビにインターネットへの接続機能を付与し、簡易的なブラウザーを内蔵したテレビ受像機で、居間に於ける家族団らんにインターネットでのネットサーフィンを提供しようというコンセプトのようです。

世の中には数%の好奇心と冒険心に満ちたユーザーが存在しますし、家電店・量販店でのデモンストレーション用の需要もあるので、全く(=0)売れないと言うことは無いのですが、ユーザーに親切なようで実際にはユーザーをないがしろにした製品のように見えます。

その理由はインターネット上での技術革新を無視した製品だからです。皆さんもご承知のように大型のテレビ受像機は少なくとも5年、長ければ10年は使用する製品です。それに比べてインターネット関連の技術革新は、1994年以降の傾向として少なくとも六ヶ月に一度の頻度で、メジャーな技術革新が行われてきました。この急進的な技術革新が今後もずっと続くとは言いませんが、まだまだメジャーな技術革新が行われている最中です。インターネットの急速な進展に対応できるハードウェアはパソコン以外には考えられません。少なくともハードウェアの拡張やソフトウェアを頻繁に更新できる可能性があるからです。

テレビ受像機をパソコン化するのは技術的には正しい方向に見えますが、テレビ受像機はそもそも単一機能製品で、多機能リモコンでさえ使いこなせていない状況ですから、これ以上複雑な製品にすることは好まなしく無いことと思います。多分、メーカー内部ではパソコン事業部とテレビ事業部は別々の組織で、それぞれの論理で開発が行われているのだと思いますが、時代の大きな流れを認識し時代に整合した製品開発を行うべきであると思います。

結局、被害を受けるのはユーザーなのですから。

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