浄土宗 善照寺

善照寺について

善照寺は「青暘山慧日院善照寺」といい、寛永二年(1625)青山四郎兵衛正貞の寄進により、東京芝増上寺の末寺として、覺誉善照潮随上人により開山され、以来、およそ400年にわたり、地域の人々の心の拠り所となってきました。
当寺の宝物となっている法然上人自作の座像「鑑御影」は、善照上人が背負って関東に下ってきた像と伝えられています。

寺院概要

寺院名 :
青暘山 慧日院 善照寺
宗 旨 :
浄土宗
本 尊 :
阿彌陀如来
開 基 :
寛永二年(1625年)
開 山 :
覺誉潮随上人
住 職 :
今岡達雄(精蓮社進誉到阿達雄)

善照寺の写真

本尊阿弥陀如来

善照寺本尊の阿弥陀如来は、当寺を開いた善照上人によって寛永4年(1627)に制作。像高は約90cmの寄木作りで、来迎印が結ばれている。
平成10年(1998)、現住職の二十一世達雄上人が檀信徒260名の寄進で修復を行ったところ、胎内から古文書が発見され、過去に2回の修復がされていることが判明。文書には、本尊は善照寺を開いた覺誉善照潮随上人が、嘉永2年(1849)に十四世毫光上人が修復していることが時々の住職によって記されていた。
達雄上人は、平成10年の修復時に寄進者の名簿と善照寺全檀信徒をはじめ、世界の人々に阿弥陀仏の加護を認めた願文を納めた。写真は本尊の阿弥陀如来と、向かって右側が観世音菩薩、左側が勢至菩薩。この三体を「阿弥陀三尊」という。

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梵鐘

善照寺の梵鐘は、太平洋戦争時に供出され逸失したことから、昭和30年(1955)、当寺第二十世の今岡正道上人と檀信徒によって新造された。鋳造は人間国宝の香取正彦師。通常、梵鐘の鐘座(鐘をつく場所)はニヶ所だが、この鐘は四ヶ所と特殊なデザイン。重さは120貫。また、鐘には序文(通常は散文)、銘文(通常は韻文)が鋳込まれているが、この鐘では正道上人がすべて韻文形式で認めている。抑磁は行徳・伊勢宿清岸寺の中村恭祐上人。

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五智如来像

善照寺の山門を入った左側の五つの仏像。当寺を寄進した青山四郎兵衛正貞の子吉貞が万治元年(1658)二月十五日、青山家有縁の諸霊の供養のために建立。初めは墓地の中央に安置されていたが、平成二年(1990)、墓地の整備を行った時に現在地に移動。中央の大日如来光背背面には、「當寺開山覚誉上人代下総國東葛飾郡八幡荘行徳湊村青山四郎兵衛吉貞造立五智石像為百億万遍念仏供養」と刻まれている。五智とは、密教で説く仏が備える五種の智慧のことで、「法界体性智(真理の世界の本来の性質を明らかにする智―大日如来)」、「大円鏡智(鏡のようにあらゆるものを差別なく現し出す智―阿閦如来)」、「平等性智(自他すべてのものが平等であることを証する智―宝生如来)」、「妙観察智(平等の中に各々の特性があることを証する智―阿弥陀如来)」、「成所作智(あらゆるものをその完成に導く智―不空成就如来)」の五智。

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住職の紹介

現在の職業は、
・宗教法人 善照寺 住職
・宗教法人 浄土宗総合研究所 所長
・学校法人 智香寺学園(埼玉工業大学) 監事
をしています。

略歴

早稲田大学大学院で熱工学で修士号を取得し、1972年 株式会社三菱総 合研究所に入社、産業技術部第三産業技術研究室長、技術戦略部長、経済経営本部本部長補佐をへて1995年3月に退社。

1980年 浄土宗善照寺住職を拝命
1998年 浄土宗総合研究所 研究員
2000年 浄土宗常任布教師
2002年 浄土宗総合研究所 専任研究員
2005年 智香寺学園(埼玉工業大学)監事
2006年 浄土宗総合研究所 主任研究員
2012年 浄土宗総合研究所 副所長
2022年 浄土宗総合研究所 所長

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善照寺の由来

善照寺は「青暘山慧日院善照寺」といい、元禄期にまとめられた『蓮門精舎旧詞』によれば、今からおよそ四百年前、寛永二年(1625)東京芝増上寺の末寺として創建されました。
当寺を開いた覺誉善照潮随上人は武蔵の国の人で、江戸増上寺や京都で学んでいたようです。この善照上人が下総国東葛飾郡(視在の市川市辺り)付近で布教括動をしていたとき、当地の武士・青山四郎兵衛正貞が上人に帰依しました。
この四郎兵衛正貞の父家貞は、小田原北条氏直の家臣で、豊臣秀吉の小田原攻めにより落人となりました。父の青山浄故入道は、家貞や家臣とともに房州の知人を頼って海路安房国を目指しましたが、風向き悪く下総国湊村に流れ着きました。この時家貞は16歳。その後湊村に定住した家貞は浦安堀江村の中村弾正の娘と結婚、野武士となり内記、集人、久左衛門、四郎兵衛正貞の四人の子をもうけました。家貞は69歳で他界、後を継いだ四郎兵衛正貞が父の供養にこの善照寺を省進したのです。
寺号「善照寺」は増上寺法主了的大僧正、山号「青暘山」は増上寺法主起屋大僧正より青山という姓にちなんで賜ったと伝えられています。
善照寺の現在の本堂は、大正二年(1913)に再建され、戦災にあうことはありませんでしたが、老朽化にともない昭和56年(1981)に改修されました。
当寺の宝物となっている法然上人自作の座像「鑑御影」は、善照上人が背負って関東に下ってきた像と伝えられています。

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