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浄土宗教学院講演資料(1999.9.27 於:明照会館会議室)
>インターネットと宗教
浄土宗総合研究所嘱託研究員 今岡達雄
1.インターネットとは何か
インターネットとは、 複数のコンピュータ間の情報交換を通信網を利用して行う手段で、その情報交換の方法としてTCP/IPと呼ばれる通信規約(プロトコル)を使用しているものです。実態として特別なネットワークが存在しているのではなく、TCP/IPという通信規約で情報交換するコンピュータをルーターという通信の経路制御を行う機器を介して通信ネットワークに接続したもので、1999年1月現在で4323万台のホストコンピュータが接続されています。
1)インターネットの仕組み
コンピュータには色々な特徴をもった、汎用コンピュータ、ワークステーション、パーソナルコンピュータなどがあります。また、コンピュータを動かすために最小限必要な基本プログラム(OS)も複数稼働しています。コンピュータ間の情報交換は同一機種で同一OSの間では自由に行えますが、異機種、異OSでは自由に行えません。そこで、このようなコンピュータの相違を乗り越えて情報交換を行うための規則が作られました。これがTCP/IPという通信規約です。 また、インターネットでは交換する情報をパケットという情報の小片に切り分け、そこに情報の送り先番地、送り主の番地、切り分けた数、何個目といった情報を付加して、通信網に送り出します。送り出された情報パケットはルーターという通信の経路制御を行う機器で何処に流すべきかが判断されて、いくつかのルーターを経由して送り先に届けられます。 したがって、全世界のインターネットに接続されたコンピュータにはユニーク(固有で決して番号が重ならない)な番地が必要で現在は32ビットの番地が使用されています。これをIPアドレスと呼んでいます。IPアドレスは8ビット×4に分解され、203.140.129.4のように示されます。番地は番号では覚えにくいので、番号に対応して名前を付けることが出来ます。例えば203.140.129.4にはbekkoame.ne.jpという名前が付けられています。この名前をドメイン名と呼んでいます。
2)インターネットで出来ること
TCP/IP、パケット、ルーター、IPアドレス、ドメイン名等でデジタル情報をコンピュータ間で交換することが可能になります。しかし、これだけでは基本的な情報交換が可能になっただけで一般の人が利用するには障壁が高すぎます。そこで考えられたのがインターネット上で多くの人が利用しそうな事柄につては、細目の約束を決めておこうというものです。当初、電子メール(メールの交換)、FTP(ファイル転送)、telnet(コンピュータの遠隔操作)の規約が決められました。更に、1990年代になってHTTP(ハイパーテキスト:WWW)の規約が決められました。インターネットではこれらをインターネット上で提供されるサービスと呼んでいます。現在、我々が利用している電子メールやWWWはこれらのサービスを利用したものです。 これからのサービスとしては音声や動画のようにデータ転送の遅延が許されない利用についての通信規約が作成されており、これが提供されると電話、映画などのサービスもインターネット上で行われるようになろう。
3)インターネットの歴史
インターネットは30年という長い歴史を持っている。当初の目標は、米国国土が核攻撃された場合に単一の大型コンピュータによる集中管理システムでは危険が多いため、複数のコンピュータをネットワークで結ぶ分散型システムとして開発されたものである。しかし、一般的なシステム構築にあたってはこの分散型システムは投資効率が悪く(同じ目的を達成するのに多額の費用が必要)、多くの利用者は大型汎用コンピュータによるオンラインシステムが選ばれた。 唯一、利用が行われたのは多くの異機種コンピュータで情報交換が必要であった大学や国立研究機関のネットワークで、1986年、米国ではNSFネット、日本ではJUNETとしてコンピュータの共同利用が行われてきた。 1980年代後半になるとコンピュータ利用の普及に伴って、異機種間の情報交換の必要性が増大し、民間企業でもインターネット利用を行う要望が高くなり、1990年それまで学術研究用に様とが限定されていたNSFネットの商用利用が解禁された。 インターネット利用が急速に進展しだしたのは1993年のWWWブラウザー(閲覧)ソフトウェアであるMosaicが発表された以降である。文字情報のみならず画像や音声情報を統合的に取り扱う通信規約HTTP(Hyper Text Transport Protocol)は存在していたが、これらの情報を簡単に取り出すためのソフトウェアが無かった。ここに出現したのがMosaicというブラウザー・ソフトウェアであり、その出現はインターネットの性格を根底から改めてしまうほどの大きなインパクトをもたらすものであった。 このMosaic はイリノイ大学のNCSA(The National Center for Supercomputing Applications)の学生マーク・アンドリーセンによって開発されたものである。マーク・アンドリーセンは反響の大きさから会社を設立しMosaicの改良版Netscapeを開発した。また、Mosaicの一改良版であるAir- Mosaicを下敷きに新規開発を行ったのがMS-Explorerというブラウザーである。
米国 日本
1969年 DARPA(国防省、4大学)
1980年頃 インターネットの原形整う
1983年 MILネット独立
1986年 NSFネット JUNET
1990年 商用利用解禁
1993年 Mosaic発表(WWW実用) 商用プロバイダ出現
4)インターネットの現在と将来
1993年のWWWブラウザーの出現はコンピュータ間情報交換というインターネットの性格を大きく変革した。それは、印刷技術が大量の複製を可能にし、情報伝搬に大きな革命をもたらしたことに例えられる。現代社会に於いては情報伝達の情報が発達しており、新聞・雑誌・書籍のような印刷メディア、ラジオ・テレビのような放送メディアを通じて大量の情報が流通している。しかし、これらのメディアはいずれもマスメディアと呼ばれる基本的に一方向の情報伝達手段である。そこには編集者、新聞社、出版会社、放送会社のような情報を流す主体がいて、情報を吟味し、これらの人々が価値があると判断した情報しか流さない。情報を発信したい人は、これらの人々を説得するか、ミニコミのように仲間内だけで満足するか、あるいは自分で出版社や新聞社を作り情報を伝達するしか方法がなかった。 しかし、WWWという仕組みは誰もが簡単にネットワーク参加者(インターネット・ピープル)に向けて、自分自身の発表したいことを、何の規制も無しに発信することの出来るメディアである。また、そこでは何億という人々や会社や各種団体が情報を発信しているが故に、もし見つけだす手段さえ有れば色々な情報の宝庫にもなっている。 つまり、有史以来はじめてメディアの民主化を可能とする手段が実現したわけである。これに気づいたか否かは別にして、WWWブラウザーの出現以降インターネットに接続する人の数は飛躍的に増加し続けている。そして、インターネットの内部は規律のない猥雑で喧噪に満ちた仮想空間になっている。丁度、西部劇の時代の米国社会に似た状況であるが、多分今後は整理統合が行われ新しい秩序が形成されていくのだろう。
注)1999年末の世界のインターネット人口は約1億8000万人と推計されている。
2.インターネットと宗教
インターネットの利用は2つの方向がある。第1は既存のコンピュータシステムに替えてインターネットプロトコルによる情報システムを導入することであり、これによって安価で高機能な情報システムを構築できるようになってきた。第2は新しいコミュニケーション手段としてインターネットを利用することである。インターネットは新しい対外的な情報発信手段を提供するものであり、これを積極的に利用する方向である。
1)既存の仕組みの効率化
コンピュータシステムの業務利用は汎用コンピュータ(オフコンも含む)による集中型システムとして構築されてきた。これは、貴重で高価なコンピュータを効率よく利用することを目標として、安い人件費を投入して大規模なカスタムソフトウェアを開発し、業務に利用してきた。新幹線の緑の窓口システムとか銀行のオンラインシステムがその代表である。 しかし、時代は変わった。コンピュータのハードウェアは同一性能では1000分の1程度に、人件費は5倍ぐらいに上昇した今日、ハードウェアを潤沢に使用することが可能になったし特注のソフトウェア開発は非常にコストのかかる方法になってしまった。 そこで出来合いソフトウェアを使用し、潤沢なコンピュータ・ハードウェアを使用して構築するシステムとしてインターネットの通信規約を適用した分散型システムが注目されるようになってきた。通常、イントラネットと呼ばれるのがこのシステムである。 浄土宗も教団として種々の業務を行っており、オフコンと呼ばれる小型汎用コンピュータを使った集中システムを運用してきた。ここにもインターネットの影響が現れており、浄土宗に於いても2000年問題への対応をきっかけにイントラネットシステムへの移行が行われている。
2)新しいコミュニケーションメディアとして
マスコミュニケーションとインターネットの関係については先にも述べたが、インターネットは自発的な情報発信メディアとして有力な手段である。特に、自前の情報伝達手段を持っていない企業や団体にとって格好の情報発信メディアである。 とくにWWWサーバー上におかれたホームページは低コストで比較的簡単に情報発信が可能であり、情報発信メディアとして注目されている。情報を発信する対象はインターネットに接続しホームページを閲覧する能力のある人(インターネット・ピープル)に限定されるが、その人口は急速に増大しており、1999年2月時点で日本国内で1500万人と推計されており、このままの傾向が続けば2010年には日本国内で7000万人がインターネットに接続していると予測される。 また、ホームページの作成に関しては、従来の印刷メディアに対する法的規制が準用されており、目に余る情報内容(ポルノ規制)については法的対応が取られた例があるが、これも事後の対応であり情報発信時点での規制は全く存在していない。また、問題となるような情報も特定の集団内しか閲覧できないような仕組みさえあれば法的規制の対象外となる。したがって、発信する情報内容に関しては全く制限がないのと同様な状況にある。 これまでのマスを対象にしたメディアは情報内容に関するチェック機能を内包していた。実際的には新聞社や出版社の編集者、TV局のディレクターが情報内容を吟味し、正確な情報、あるいは売れる情報として発信を行ってきた。そこでは情報の確からしさが暗黙に認められており、これに反した場合には名誉毀損・名誉回復といった形で裁判で判断されるという機構が保証されていた。しかし、インターネットにおける情報発信は基本的にはこのような仕組みを持っていない。裁判に持ち込む出版社や放送局という事業主体の数が少数(多くは1、2社)であれば訴訟もできるが、1万人が間違った情報内容を発信し損害が発生しても、一万人相手に訴訟を起こすことは実際上不可能なことである。 かくして、自分勝手な情報を不特定多数に発信できる、しかし、見てくれる人が居るかいないか分からない、これがインターネットホームページという奇妙な情報発信メディアである。
3)カルト集団のインターネット利用
ところで、宗教団体は布教によって信者を拡大することを至上命題としている。これは教団を維持運営し拡大をはかるという経営面からの要請もあろうが、自分が信じている宗教を一人でも多くの人と共有したいという考えがその原点にあろう。既成宗教教団は歴史ある教団ほど安定的な運営が行われており急速な拡大傾向はないが、小集団、特にカルト集団と呼ばれる信仰結社においては急速な拡大傾向が強い。これらの集団は、規模の拡大に伴って自前の情報伝達メディア(新聞、雑誌、書籍、TVプログラム等)を手に入れるが、それ以前の段階においては①大道パフォーマンス、②パンフレットの配布、③人的フェース・トゥー・フェースの勧誘と並行してインターネットによる情報発信が有力な手段となっている。
「インターネットと宗教」の著者土佐昌樹はその著書の中でインターネットの特徴として7つのキーワードを提出している。高速性、雑居性、匿名性、イメージ中心、流動性、マイノリティ、関係性である。 ① 高速性とは、インターネットによる情報収集の高速化が人々の知的生活スタイルを変化させる。つまり現在以上に頭でっかち生活スタイルが一般化する。 ② 雑居性とは、質のそろっていない情報がガンジス川の砂粒のように存在している。 ③ 匿名性とは、インターネット上の情報とは肉体のないコミュニケーションであり、そこに存在する個人とはリアルな人間とは切り離され演出された断片的人格である。 ④ イメージ中心とは、コンピュータ画面上で情報を受け取るため本を読むのとは異なる捉え方をされてしまう。すべての情報は画面上ではイメージを中心に認識される。 ⑤ 流動性とは、つまりインターネット上の情報を保管する責任ある組織もなく、昨日あった情報が今日はない。 ⑥ マイノリティとは、インターネットは巨大なマイノリティの集合体である。歴史ある大会社のHPも昨日発足したばかりの新しい会社のHPも全く同等な扱いである。 ⑦ 関係性とは、インターネット上には膨大な情報が存在するが、その存在は百科事典のように整理された知識の集合として存在するのではなく、情報をほしい人がアクセスした時点で存在が明らかになる。このようなインターネットの特性は、既存の社会秩序からはみ出ているカルト集団や、インターネット上にしか存在しないサーバー宗教にとって大変居心地のよい環境にある。
4)サイバー空間での布教の可能性(電子縁)
インターネットがカルト集団やサイバー教団の棲息に適しているからといって、既存宗教教団がその利用を逡巡する理由にはならない。宗教教団のインターネット利用に関しては田村貴紀「宗教関連ホームページ(ウェッブ・サイト)主催者へのアンケート調査結果報告」(97/11/14宗教と社会学会)に報告されている。 この調査は1997年6月29日からはじめ、10月14日で終了した。アンケート発送数は、194通であり、返信数は76通であった。返信の内訳は、仏教36通、キリスト教22通、神道1通、新宗教17通であった。サイトの開設を希望した人としては、個人がもっとも多く、76件中61件であった。主催者についても個人が多く、同様に76件中59件であった。全般的に、個人の自由な発意により、経済的にも独立した形でサイトが開設・主催されているといえる。このことは、二つのことを意味している。一つは、教団などの組織としての取り組みが、まだ本格化していないということ。もう一つは、教職・信徒個人の発言を許容するような宗教においてサイトの開設が活発になるであろう、ということである。 この調査は97年6月とインターネット普及の初期段階に行われたもので現在とは状況が異なるかもしれないが、田村はインターネット上の宗教行為の可能性としては、3つのタイプを挙げている。①言葉による宗教性、②聖地へのアクセス可能性、③オンラインカウンセリングである。これらの宗教性の実態については、会議室や掲示板のログ解析、特定の教団の継続的研究によって解明されて行くであろうし、インターネットと宗教を考える上重要な研究視点となると指摘している。
① 言葉による宗教性とは、ホームページの内容の主たる部分がテキスト(文字情報)によるものであり、文字表現によって宗教性をいかに表現できるかが宗教行為のポイントとなるとの指摘である。しかし、この条件はインターネット技術の革新によって今後大きく変化する可能性が高く、音声、動画像などをふんだんに使用したマルチメディア・コンテンツに進化する可能性が高い。いわば、インタラクティブ・ビデオ(TV)による宗教性の表現の可否を問うているものである。布教師による説教は言葉による宗教性の表現であるが、それは単なる言葉だけではなく体全体で非言語(ノン・バーバル)コミュニケーションを行ってきた。それと同等な、あるいはそれを上回る宗教性の表現が目標となろう。 ② 聖地へのアクセス可能性とは、墓参りや聖地巡礼をインターネット上で出来るかという問題である。ホームページにアクセスすること自体が宗教行為となる。実際にインターネット上でこのような実験が行われているが現時点でははなはだ陳腐なものである。話題性はあるが宗教行為にはなっていないのが現状であろう。 ③ オンラインカウンセリングとは、インターネットを経由して個別的な宗教相談に対応することである。場の移動を必要としない、対面する必要がないオンラインカウンセリングにはテレホン相談、テレホン伝道があるが、そのインターネット版である。リアルタイムの情報交換が出来ない限界があり、相手の状況の把握が困難な側面があるがテレホン相談よりも敷居が低いという特徴もある。浄土宗各寺院のホームページをみると各寺院の広報的性格が強く、一歩踏み出した本格的インターネット利用を指向しているものは少ないのが現状である。
5)調査手段としてのインターネット
インターネットはこれまでは出来なかったような意識調査の場を提供している。インターネット接続者は特殊な人々である。インターネット接続にはパソコンを取り扱えることが必要条件であるから、調査対象者が限定されてしまう。20歳代、30歳代の男性が多く、職業はサラリーマンと学生が多い。最近の傾向としては20歳代、30歳代の女性が急速に増加しつつあり、ヤングミセス層も急速に拡大している。このような人々を対象にして意識調査を行っているということさえ認識していれば、極めて有力な調査手段である。筆者が最近行った意識調査では質問項目40問で構成されているアンケート調査に1週間で5000サンプルの回答を得ている。 何を考えているのか分からないと言われているこの年代層が、インターネットを利用した意識調査ではもっとも回答の得やすいグループであることは興味深い現象である。 筆者は1998年10月にインターネットを使用して宗教意識調査を実施している。調査結果については仏教論叢に掲載されているので参照されたい。
3.おわりに
インターネットと宗教と題したわりには、宗教との関連性の分析が少ない結果になってしまった。立花隆が著書「インターネット探検」の中で述べているように、インターネットは「目の前に突如として、新しい世界が与えられたようなもの」である。そこには何の規制もなく、何の前例もなく、広大な原野が広がり、誰もが勝手にいくらでも使ってよいと言われたようなものである。そこにはホームページという建物が建設され、様々な商店(パソコンショップ、CDショップ、本屋)が開かれつつある。最近では銀行や株式市場まで開設され、中古車のオークションも行われている。それは現実生活を補完する仮想的な生活空間であり、そこに存在する人々は肉体から切り離され演出された頭だけの断片的人格である。しかし、その背後には苦渋に満ちた現実を生きる人間が存在している。 その仮想的な生活空間の中に、仮想空間の背後で苦渋に満ちた現実生活を送っている人々が、そのも持てる悩みを解決すべく飛び込めるようなゲート(門)を創り出すこと、これがインターネット布教の目標である。そのゲートを創り出すための技術的手段は日々革新されているが、我々宗教者の側にいかなるゲートを築いたらよいかというノウハウがない。どんなゲートを創ったら、どのような人々が門をたたいてくれるのかその実験も行われていない。そればかりか、ゲートを創る必要性さえ検討されていないのが既成宗教教団の現状であろう。教団では取り組まず、一住職が勝手に実験できる自由度があることが教団の強さなのかもしれない。
参考資料
(1)「インターネット」村上健一郎、1994年11月、岩波書店
(2)「情報時代は宗教を変えるか」池上良正、中牧弘充、1996年2月、弘文堂
(3)「インターネット探検」立花隆、1996年4月、講談社
(4)「調査のためのインターネット」アリアドネ、1996年9月、筑摩書房
(5)「インターネットはからっぽの洞窟」クリフォード・ストール、1997年、草思社
(6)「インターネットと宗教」土佐昌樹、1998年11月、岩波書店