浄土宗 善照寺

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現代布教を考える (平成11年度浄土宗総合学術大会1999.9発表)

平成11年度浄土宗総合学術大会第4部会

現代布教を考える

布教師会関東地区支部
千葉教区布教師会長 今岡達雄

はじめに

平成11年度浄土宗布教師会関東地区支部研修会の開催に当たって、研修会の企画立案及びその実行を担当した。研修会では「現代布教を考える」を統一テーマとし、大本山増上寺ご法主藤堂恭俊台下より講演をいただき、その後参加者によるワークショップを行って参加者全員でこのテーマについて議論を行うことにした。本稿はこのワークショップにおいて行われた議論をまとめ、個人的な見解を加えたものである。

1.ワークショップの概要

 平成11年度浄土宗布教師会関東支部研修会は平成11年6月11,12日の両日、千葉市幕張のホテルスプリングス幕張で開催された。ワークショップは主催者のオリエンテーションの後、何を議論すべきかについて助言をいただいた。助言者として、第一線の布教師として日下部謙旨師、NGO活動の最前線で活躍しておられるアーユスの茂田真澄師の両名からそれぞれ15分の助言をいただいた。その後10班に分かれ以下の4つのサブテーマの中から2つのテーマについて議論を行い、結果を報告してもらう形式で進めた。
 【1】布教を行うにあたって現代とはどの様な時代か?
 【2】布教師は今の時代に何を語るべきか?
 【3】誰に向かって布教すべきか?
 【4】布教の方法はいかにすべきか?
このうち【1】については必須討論項目とし、他のサブテーマについては自由選択とした。4項目のサブテーマは一貫したストーリーのもとに抽出されたもので、【1】現代という時代認識を出発点に、その時代に【2】何を、【3】誰に、【4】どの様に語るべきかを議論してもらおうと考えたものである。ワークショップの報告でプレゼンテーションされた内容を以下に述べる。

2.布教を行うにあたって現代とはどの様な時代か

 参加者の布教師の方々に布教を行うにあたって現代、今の世の中とはどんな世の中であるかを議論しまとめてもらった。要点は以下の通りである。

(1) 現代という時代の認識
 日本社会は第2次世界大戦後大きな変化を遂げた。政治的には民主化であり、経済的には産業主義であり工業化が積極的に進められた。その結果、所得水準や衛生状態の飛躍的向上がもたらされ、物質的所有水準の向上や長寿命化が実現した。その一方で都市への人口集中、核家族化、単身世帯の増加等、従前の家を中心とした生活スタイルが大きく変化した。

(2)生活習慣の変化
 新しい生活スタイルは従前の社会的慣習からの束縛から解放され、多様な形態が許される自由度の高いものだが、社会的習慣の根幹となっていた宗教的習慣(宗教的伝統)の継承を困難にしている。

(3)知識偏重の現代社会
 また、新しい生活スタイルは自然科学(科学技術)分野における論理的合理性に基づく成功を模範としており、知識が最も重要なものであるという知識偏重の社会的風潮を生み出している。

(4)宗教意識の変化
 この知識偏重の、合理性を重視する風潮は、既成宗教の根幹となっているそれぞれの神話的教義を否定する。しかし、人間の生活は様々な知識情報に基づく合理的な意思決定だけでは成り立たないものであり、生老病死・愛別離苦などは釈尊時代から変わらぬ「苦」であり現代においても苦であり続ける。新しい生活スタイルは新しい社会的ストレスを生み出し、根元的「苦」とともに現代人を襲っている。表面上は豊かな生活を営んでいるようで、本質的には「苦」に満ちた現代生活において、既存宗教の伝統的な神話的教義は壊されており、過去に果たしてきたような役割を果たしていない。ただ葬儀、墓という儀式のみが残されているだけで「苦」を克服する力が弱体化されている。

(5)今こそ布教のチャンス
 このような状況認識は、今こそ浄土布教のチャンスであるという認識の拠り所であると共に、「苦」の克服のために未だ壊されていない新しい宗教(新々宗教)を生み出す源泉となっている。

(6)僧侶側の問題
 僧侶に対する不信感は、壊された神話的教義を修復もせず、葬儀・墓・先祖供養という風化しつつある伝統的生活習慣にたより、「苦」にある人々を助けず、自らの経済的救済に汲々としている一部の僧侶に向けられたものであろうが、この不信感は一般的なものとして育ちつつある。

3.布教師は今の時代に何を語るべきか

 布教師は今の時代に何を語るべきかというテーマに関しては3つの立場が表明された。第1は原理に立ち返る。第2は現代化を行う。第3は大衆化を行うというものである。コメントの数は原理(8)、現代化(3)、大衆化(2)で過半を原理に立ち返るべきとの意見が多い。

(1)原理に立ち返る
 原理に立ち返ると言うことは、伝統に帰るということである。浄土宗には伝統として受け継がれてきた確固たる布教伝統がある。粛々とこれを受け継いでいくことが重要との立場である。

(2)現代化・大衆化
 第2の現代化と第3の大衆化とは同様な方向ととられやすいが、これは異なる方向である。現代化とは浄土教義の本質を見極め、現代という世の中で本質を崩さずに現代に合った布教方法を模索するものである。1方、大衆化として示したコメントは本質的部分の1部変更をもたらすものである。例えば現世の利益を浄土宗の第1義にするか否かは重大の違いであろう。

(3)定まっていない方向性
 知識偏重社会においては、西方極楽浄土を実在の場所、阿弥陀如来を実存の仏、念仏を往生の具体的手段とすれば、実在・実存・具体性のゆえに存在や有効性の証拠の提出を求められる。 物理学的には西方に極楽浄土の存在は検証されていない。西方という方角は相対的な方位であるから場所さえ特定できない。非存在の証明は不可能であるが、存在の実証もできない。非存在の証明が出来ないのであるから、そのまま伝統的解釈を続けるというのが原理主義であろう。現代化という作業は、西方極楽浄土、阿弥陀仏の現代的解釈、現代生活に於ける意味づけを行うものであろう。 伝統的原理主義か、現代化か、一挙に大衆化をはかるのか、方向が定まっていないのは事実であろうし、少なくとも進むべき方向が全ての浄土宗教師に行き渡っていない。

4.誰に向かって布教すべきか

誰に向かって布教すべきかに関しては6件のコメントが表明された。コメントを類型的にまとめるには件数が少ないので以下に全般的な傾向を述べる。

(1)布教の対象範囲
 まず第1点として布教の対象範囲に関するコメントがあった。対象範囲としては寺院・檀信徒中心、地域社会、不特定多数と3つのカテゴリーが示された。寺院・檀信徒中心と地域社会との関係は、まず寺を中心に檀信徒への布教を行い、その範囲を地域社会に拡大するという考え方である。不特定多数とは広く法然上人の教えの種を植え付けることを目標にしている。

(2)布教の対象層
 第2点として対象層が指摘されている。理由は示されていないが幼い子供、若い女性、小さな子供のいる母親を重視した布教活動が必要、教化しやすい対象に取り組んでいくべき(幼児、児童、子供会、青年層、老人、サークル活動を通して、寺から出ていくことも)という指摘も行われている。

(3)宗門系学校での宗教教育
 第3点として宗門系の学校においては、宗教教育を宗門サイドの布教の一貫として活動してはどうかという指摘もあった。しかし、何をどの様な方法で誰が実施すべきかと言った具体的方策は示されなかった。

5.布教の方法はいかにすべきか

布教方法に関しては17のコメントが表明された。布教の方法はいかにすべきかというテーマに曖昧さがあったためコメントが散漫になってしまった感がある。

(1)基本を重視した布教
 第1に所求、所帰、去行等、教義の基本をしっかりとおさえていくべきであり、現代流と称して勝手な解釈や応用は禁物という伝統的方法論による布教

(2)やさしい布教・法話
 やさしく分かり易く話すという現代化の方向、面白可笑しく皆を引きつけて話すといった大衆化の方向が示された。

(3)グループ布教
 教師一人一人の力は限られているから、教区や組が単位となってグループ布教という提案が見られた。 (4)その他 また、ニューメディア布教も興味のあるコメントであるが、そこで何を布教すべきかをしっかりと検討することが必要であろう。

6.おわりに

平成11年度浄土宗布教師会関東地区支部研修会は、講義として耳から得る知識とは別に、ワークショップという形式で現代における布教活動をいかにすべきかに関して、考え、議論し、まとめ、発表するという新機軸の研修会としたつもりである。私共が企画する多くの研修会では研修会が終わるとすべておしまいということが多いので、その成果を要約し、ここの発表する機会を得たことは大変ありがたいことである。

(1)そろわない方向性
 ワークショップを終えての印象は、第1に、参加者の皆様方はいかに布教すべきかを真剣に考えていらっしゃる。しかし、考えている内容になるとその方向は一つの方向を向いていない。例えば、「布教を行うにあたって現代とはどの様な時代か?」という議論の出発点となる問題に関してさえ認識が一致していないのが現状である。それぞれが着目し、問題意識の大きい側面が強調され総合的な視点から、問題の核ととなる事象の掘り下げが十分ではないという印象である。

(2)伝統回帰か現代化か
 第2に布教の内容・布教の方法論に於いて、伝統回帰か、現代化を推進するかの狭間に悩まれておられるということである。このように第三人称で語るばかりではなく、私自身、布教に於いて伝統を守り基本に忠実に布教するという方向と、聞いておられる方々の表情から、もっと現代に即応した語り口はないものか2つの方向に意識が裂かれている次第である。

(3)必要なのは正統の現代化では
 説法の基本は、所求、所帰、去行にある。しかしこの基本原則は「救われたい」という意識に目覚めた人にとって有効ではあっても、信仰の必要性にも気づいていない人々に対してこの基本原則が有効であるのだろうかという疑問も涌いてくる。 自分が病気であると思っている人に治療方法を示すことは有効であるが、自分が病気であるとの認識が無い病人に治療の方法を示しても見向きもしない。自分が病気であると全く認識していない人々、薄々気がついていても病気を認めたくない人々に、「あなたは病気なのですよ」と気づかせ治療方法を指し示していくのが現代布教であろう。 そのために。それぞれの布教師の方々は、自分なりの方法を模索し実践しているのであろう。しかし誰に何を語るべきかといった問題になると、その方向は色々な方向に拡散している。また、それぞれの方向の位置づけさえ行われていない。したがって、自分がなにを行っているのかさえ分からず、ただ長年培われた感で布教を行っているのかもしれない。

(4)布教師が歩むべき地図の作成
 当面行うべきことは布教師が歩むべき地図を作る作業である。現代という社会の中で自分自身がどの様な場所に立っているのか、自分は一体誰に向かって話をしているのか、その相手には第一歩として何を語るべきなのか、このようなことの分かる戦略的なポートフォリオが必要であろう

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