縁起

 當山は開山覚誉潮随上人により、寛永二年(1625)に、青山家の大信を得て創立 したものである。覚誉潮随上人は武州小松村の出、青山家の寄進を得て三縁山増上寺 の末寺として當寺の開山となった。寺号「善照寺」は増上寺了的大僧正より、山号は 遵誉上人起屋大僧正より青山という名にちなんで「青暘山」という号をたまわったと されている。
 青山家は,武州六郷の領主で相州小田原北条氏康の旗本である青山浄故入道の直系 子孫である。浄故入道は小田原城主北条氏直の時太閤秀吉の小田原攻めにより落人と なり、子息伊予守、家臣嶋田兄弟と共に海路北条一門である房州里見に向かったが、 風向き悪く下総湊、押切付近に流れ着いた。翌年浄故入道は64歳で他界、青山伊予守 は16歳であった。青山伊予守は武州六郷の菩提寺(浄土宗法伝寺)にちなみ、湊村に 仏法山法伝寺を起立した。
 青山伊予守は浦安堀江村の中村騨生の娘を妻とし野武士となり湊村に住して、四人 の子供をもうけた。内記、集人、久左エ門、四郎兵衛である。青山伊予守は69歳で他 界し湊村法伝寺に葬られた。しかし、法伝寺は今井浄光寺の末寺であり住職がいなか ったため、新たに一寺の建立を思い立った。そこで、青山家に出入りしていた潮随上 人に相談し善照寺の建立を行った。當山建立の願主は久左エ門とも四郎兵衛とも伝え られている。境内にある五智如来は四男青山四郎兵衛正貞の子息、青山四郎兵衛吉貞 の建立である。

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2002.03.20更新